感動学雑記ノート
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「感動学」をのんびりと朗らかに、楽しみながら研究しています。
ささやかな額ですが(3月11日東日本大震災)の義援金を振込みに行ってきました。2011.3・29,5・2。(飯田イチロオ)
「感動学」をのんびりと朗らかに、楽しみながら研究しています。
感動というか「ときめき」が人を若返らせ輝かせるというのは事実だろうと思う。
女性の病気見舞いにいった時、いつもは年より若干上に見える女性が年相応以下、そして瑞々しく見えたことがあって、どうしてだろうとずーと不思議だった。手術の成功での未来へのトキメキか、病院の食事でダイエットしたからか。それが2019・4・9(火)オンエアのNHK「あさイチ」を見て驚いた。
ゲストは御年82歳で現役のファッションデザイナー・コシノヒロコさんである。82歳のヒロコさんお嬢さが語るには「母はなにかにときめいた時に顔がリストアップして若返る」と、このような表現をしていた。
ホルモン分泌か筋肉の影響か分らないが、女性はときめく訓練をして、ときめいた時の表情がいつでも、せめて人と対面したときに出せると、相手にハットさせ、ときめきを与えることで、事は良い方向にスパイラルすると思う。
腸内環境が性格に影響することがラットの実験で昨今分かった。漢字での「心腸」は心の内という意味である。大昔の人間の文化水準の高さにただ感動だ!
感動と笑いは限界の枠を外す。
○138億年前にビックバーンにより宇宙が誕生してから人間の脳は垣根、「限界という概念」が生まれ枠を考えるようになった。十代は前頭葉が発達していないので原始の脳が優位で限界を考えないが、二十代後半頃から前頭葉が発達し脳に、もう年だからという「限界という概念」が植えつけられる。『古事記』は宇宙誕生で、最初に三つ神(陽子・中性子クォータ3つの陰陽)が誕生し、続いて二柱の神が(中間子クォータ2つ)誕生し、これらは5柱は現れない神である。これら五柱の神が誕生しとある。この神が六つであったことが発見され物理学ノベール賞となった。改めて『古事記』は凄い、古代人は凄いと思いました。芸術家だけではないが、年だからと限界を枠を設けず、高齢でも挑戦し続けられるのは、実は感動と笑いで原始の脳の五感を活性化しているからではないだろうか。
ベストセラー『妻のトリセツ』著者、人口知能研究者黒川伊保子氏の自説では、五ひ六歳までの人生で一応の達人になり、人を支配したり、人を痛めつけることで自分の存在意義を確認したりする人は、それの達人になるという。高齢者の施設でのイジメ行為が陰湿になるのも達人だからか。晩年幸せなになるには、若い内から前向きなで、人に優し心を育む訓練が必要のようだ。それには感動し、柔らかな心の維持することである。
貴乃花親方の「横綱」のあり様と、近代武道合気道の開祖植芝盛平翁の「合気道」のあり様は共通していて、「(闘う)相手を包み込む包容力(愛)」という表現です。大相撲も合気道も心根は神道ですが、宗派の違いの枠を越えて、きびしい修行に耐えた名人・達人が到着する境地のようですが、高僧の悟りに似ています。懐の狭い凡人には、寛容な発想が出てきませんし、恥ずかしくって言葉に出せません。名人・達人の「技や芸」に感動するのは透明感のある美しさだからでしょうか。
「幸福学」「希望学」「感動学」この三学物語は学術的に研究されています。この中で「幸福」と「希望」は政治の政党名として採用されています。「感動の党」では語感からも政治と齟齬があります。個性は感動で育まれますから、人々が幸福や希望を感じる国は、個性同様により多くの多彩な「感動」が満ちている社会であることです。
そしてより多くの感動が満ちている国は、つまるところ最澄上人の言葉、「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」にあります。例えばスーパーのレジ係がその仕事を笑顔と優しい心でひたむき働いていれば、その姿を見た人の魂に明りが灯ります。あのような人になろうと、希望と幸福が湧き出てきます。
このよなひたむきで(小賢さのない)、笑顔と優しい心の人々が沢山いる国には感動が豊かな幸福と希望の国です。笑顔と優しい心のレジ係が勤務する会社の経営陣は、このレジ係を会社の宝と正しく評価しているに違いありません。希望を標榜する「希望の党」はもちろんですが、他の政党も、そのような日本の国の姿を建国して頂きたいと思います。もちろん悪行に感動する人間は排除です。感動は自分と他人の人生を幸福にするものでなければなりません。
貴乃花親方の「横綱」のあり様と、近代武道合気道の開祖植芝盛平翁の「合気道」のあり様は共通していて、「(闘う)相手を包み込む包容力(愛)」という表現です。大相撲も合気道も心根は神道ですが、宗派の違いの枠を越えて、きびしい修行に耐えた名人・達人が到着する境地のようですが、高僧の悟りに似ています。懐の狭い凡人には、寛容な発想が出てきませんし、恥ずかしくって言葉に出せません。名人・達人の「技や芸」に感動するのは透明感のある美しさだからでしょうか。
「幸福学」「希望学」「感動学」この三学物語は学術的に研究されています。この中で「幸福」と「希望」は政治の政党名として採用されています。「感動の党」では語感からも政治と齟齬があります。個性は感動で育まれますから、人々が幸福や希望を感じる国は、個性同様により多くの多彩な「感動」が満ちている社会であることです。
そしてより多くの感動が満ちている国は、つまるところ最澄上人の言葉、「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」にあります。例えばスーパーのレジ係がその仕事を笑顔と優しい心でひたむき働いていれば、その姿を見た人の魂に明りが灯ります。あのような人になろうと、希望と幸福が湧き出てきます。
このよなひたむきで(小賢さのない)、笑顔と優しい心の人々が沢山いる国には感動が豊かな幸福と希望の国です。笑顔と優しい心のレジ係が勤務する会社の経営陣は、このレジ係を会社の宝と正しく評価しているに違いありません。希望を標榜する「希望の党」はもちろんですが、他の政党も、そのような日本の国の姿を建国して頂きたいと思います。もちろん悪行に感動する人間は排除です。感動は自分と他人の人生を幸福にするものでなければなりません。
占いは当たらなくとも、現代人は占い師を恨まない。また神様に祈願して、成就をしなくとも神様を憎むこともない。それは人間は一時的にしろ拠り所を必要としているからであり、自分の選択で拠り所を決めたからである。感動は拠り所でもなく、選択でもない。心や脳の意志でもない個性を形成させる一滴の雫である。感動が個性を生成すると言ってもいいから平等に垂れてくる。ではその雫、感動と出会う方法は既成概念、特に損得を捨て、今ある立場で最善を尽くすことで、感動する感覚が鋭敏になり、一滴の雫をまともに受信するのではないだろうか。そして受信すると脳から男性ホルモンが分泌され奮い立つ(感じて動く)のではないか。感動はそれぞれ個別であり、感動をして行動を起こした人が他人から個性的と噂される所以はそこにある。
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国内外の問題を「感動学」で解決しましょう。国内では、教育の負の連鎖。政治によって、教育システムの弊害は改革しなければなりません。その補助的役割として、「感動学」は多様な生き方の選択を次世代に示唆します。感動したことが動機で、企業人以外の人生を選択した人々、また、貧しい環境で諦めていた学ぶことに、目覚めた人々も多くいます。そこで、「感動教育」が必要なのです。答えのない不透明な社会で、無気力、諦めは、民力を低下し国を弱体化します。
次は外交問題です。強く・深く「感動」する事柄は、世界共通と文化や風土、歴史など国々の事情により違いがあります。各国に感動調査をして、感動により、日本は平和に貢献します。A国の国民、大統領はどのような事柄に強く深く感動するか、A国の対立国B国の国民、大統領はどのような事柄に強く深く感動するか調査し、紛争より和平が尊いという考えへ導きます。独創的発想も無く、感動をしない日本の一部の政治家が見逃しても、「感動学」は、世界の優れたリーダーが、やがて、注目することは間違いありません。この「感動学」の研究は国益にも貢献するでしょう。
対話にはややこしい相手でも感動させれば胸襟を開きます。感動から真の対話は始まります。
2017年に誕生の第45代ドナルド・トランプアメリカ合衆国大統領と同じ名前にディズニーキャラクターの「ドナルド・ダック」がいます。
ドナルドはディズキャラの中で最も喜怒哀楽が激しく、自己中心でとてもだまされやすく、かなり短気のせいなのか、負けず嫌いで、口調は子供っぽいが毒舌家で、それでいて情に厚いところもあって憎めないキャラだそうです。
もしかすると、アメリカの大統領が深く感動するのは「走れメロス」のようなストーリーかも知れません。前段階で(世界の)要人が感動するスピーチをし、ネゴシエーションで日本国益に有利に事をすすめます。
今、世界各国の学者が参加して研究する『幸福学』。各国の政策にも採用されている『幸福学』。日本の東京大学の準教授グループから世界に発信された『希望学』。そして、山奥の桜のように人知れず咲く『感動学』。体系的・論理的にはみな類似点があります。
@『幸福学』では、人に行った親切を日記に書きます。『感動学』では、感動した事を文字にして日記に書きます。このことによって、『幸福学』では幸福度を、『感動学』では感動度が増します。
A『幸福学』での「幸せは幸せの連鎖」。友達が幸福だと本人の幸福度が16%増します。幸福度の高い人は、幸福度が高い人とのヒューマンネットワークを構築しています。『感動学』での「感動は感動の連鎖」。『感動学』では友達が感動すると本人の感動度が16%増します。感動する機会の高い人は、同じように感動の機会が高い人とのヒューマンネットワークが構築されます。
B『幸福学』では、40〜50代が幸福の満足度が低い。『感動学』では40〜50代の感動の回数・深さが低い。
以上ですが、 『幸福学』や『希望学』とちがい、芸術やスポーツなど、また、俳句や川柳・和歌など、人だけでなく自然も愛でる日本の文化に育まれた瑞々しい感性からの感動力。本来なら世界平和と人類の『幸福』と『希望』の基礎研究となる『感動学』を国や行政は支援すべきなのですが、行政からも大学からの支援もありませんから、学者の諸先生方に調査をご依頼できませんが、『幸福学』『希望学』の統計結果とは、方向性が一致すると思いますので、『幸福学』に真似て記述してみました。
『幸福学』の調査では、離婚率50%のアメリカでは60才から年を重ねるほどに幸福度が弓なりに上昇しますが、離婚率36%の日本では60歳以上の幸福度が弓なりに年を重ねるほど下降します。本来、アメリカのように、脳は齢を重ねると、ネガティブバイアスが.減り、歳をとるとより幸せを感じるようになります(『脳には妙なクセがある』池谷裕二・扶桑社)。ところが、先進国で極めて日本の老人は孤独なのです。いかに日本の政治が○○なのが証明されています。しかし、最近の日本の調査では、平均寿命、また、それを越えた高齢者は多幸感が多いという結果が出ています。達観や悟りなのでしょうか。元気なお年寄が人との関わり合いで幸福度を上げるにも、交際にそれなりにお金もかかります。日本の財政を考慮すれば、年金支給額は減る方向です。政治の貧困が生みだす負の連鎖は、もう、いい加減に解消したいものです。日本の今の社会は、残念ながら、若者も老人も、「希望」や「幸福」をイメージできないのが現実です。さて、日本の『感動学』は、世界に誇れる学問で、まさに、学問の名にふさわし学問です。その上、自らが希望や幸福を見出す学問なのです。
国連の世界幸福度報告2013年(3月20日))では日本は43位。さて、日本では「希望学」、そして、今、世界、日本の心理学・脳医学など、さまざまな分野の学者が研究する「幸福学」が注目されています。幸福という言葉は、ドイツ・ノルウェー・フランスでは「幸運」を表現する時にも使われるそうです。幸福感は「左前頭葉」に血流が活発になる。幸福度の50%は遺伝。生存確率は幸福度が高いほど高い。職業やお金が幸福度に与える影響はそれほどではない。夫を失った不幸(絶望)は2年で立ち直り、また、結婚の幸福感は2年までしか維持しない。幸福だとオキシトン(愛情ホルモン)が男女とも多く出る・・・等々がわかりました。幸福度を計るのには、イリノイ大学名誉教授エド・ティーナー博士の「人生満足尺度」もあります。
希望は「ホープ=HOPE」、幸福は「ハッピー=HAPPY」。さて、感動は・・・。
日本政府も内閣府に「幸福度に関する研究会」を設けますが、先ず、考えてください、震災地の被災者の方々が、訪れた歌手の歌声やスポーツ選手とのスポーツ交流で、元気付けられたことを。また、その事を知った者には、感動がありました。「幸福学」では、社会・人との関わり合い、さらに、そこで、地位が上がると、より、大多数の人は幸福度が増すと分析しています。「感動学」では、社会・人間の関わり合いで、地位を捨てた時にも感動度は増すのです。そこに、「幸福学」との違いがあります。
「感動学」は日本の大地、気候から生まれた日本の文化に育まれてきた、今、世界が必要としている日本人の感受性です。そこで、「いつ行動をするか?」「それは今でしょ!」。無知ゆえに勝手な言い分を申せば、「感動学」が太陽で、「希望学」は見上げる月、「幸福学」は陽光を浴びる地球かも知れません。「希望学」も「幸福学」も太陽の「感動学」の周りを廻る惑星かも知れません。「感動学」は「希望学」や「幸福学」と違い、人間だけを対象とせず、生きとして生けるもの、自然の共生も視野に入れています。「感動学」が天照大御神なら、「希望学」は月読命、「幸福学」は須佐之男神でしょうか。感動は粒子でその粒子によって宇宙が誕生したように、「感動」が誕生し、やがて、人が誕生し、五十万年経って、「希望学」「幸福学」が誕生したのです。誇大妄想のたわごとによると、「感動を研究せずに、人間の希望・幸福は科学的に解明できないでしょう」・・・なんちゃって。ごめんなさい。
感動する心さえあれば、「希望も幸福感も生れます」。本来なら、日本の政府も、世界の政治の物まねをせず、「感動学」を研究し、日本の「感動の研究」を世界の「希望と幸福」の研究の基礎研究とするぐらいのオリジナリティー、スケールの大きい大志が欲しいところですが、政治への「希望・失望」も「幸福・不幸」も、2年もたてば、元に戻るのでしょうかね。
一流のアスリート・アーチストは、観客なり鑑賞者を「感動させたい」と言います。このことは詩人が愛する人に「君は僕の太陽だ」というメタファーです。なぜ、抽象的な感動という比喩を用いるのでしょう。先ず、比喩的表現が出来るのは一流のアスリート・アーチストは脳のミラーニューロンが発達しているからかも知れません。たぶん、一流のアスリート・アーチストは、他の人の競技・絵画・演技を見た時のミラーニューロンの反応が強いのでしょう。観客なり鑑賞者は自分で競技・描写・演技などで、体を動かしていないのに、ミラーニューロンには感動が生れます.。
高齢化社会には「生涯学習」から「生涯研究」へのネーミング移行が相応しいと思います。「生涯学習」の語感からは謙虚・奥ゆかしさが読みとれますが、一般的には「学習」は、自己啓発であり、過去の経験をもとに、新しい知識や技術を習得することで、「研究」は、物事を深く考えたり、詳しく調べたりして、真理、理論、事実を明らかにすることです(国語大辞典』を参考)。「学習」ですと、自分の向上が目的のイメージですが、「研究」は発表といった、社会との関わりあいや人との関わりあいが生まれます(「幸福学」では人間が幸福と感じる筆頭だそうです)。「生涯研究」とは、くちはばったいようですが、「生涯学習」に、励む人々は、それだけでも立派ですので、これからは、「生涯研究」と呼び名を変えましょう。こんなことに気付き、少し、感動です。
狩猟民族と農耕民族は「感動するシーン」に差違があるのでしょうか? 農耕民族は作物を生む大地に感謝しますが、作物を育てる太陽の光も天の恵みの雨にも感謝します(多神教)。祈りは天と地に感謝し、首を大地に下げます(鬱状態)。豊作を祈る神事の舞台は大地の□で、それでは片手落ちなので、太陽との結びつきは△です。あれもこれものノンビリと情緒的で八方美人です。一方、、冷蔵庫のない狩猟民族は獲物を見つける太陽の光が絶大です(一神教)。太陽ですから○のサークルが全ての始まりです。祈りは首を反らします(躁状態)。攻撃的で、獲物を捕えるには早い決断が必要ですから暴力か理論で性急な勝利を得ます。さて、人間の感動の原点は、自分に無いものへの情動の走りです。地球上の人間を殺傷する争いを終焉させるには、『兵法感動学』の構築が待たれています。それは、今でしょ!
国立科学博物館のアフリカから旅をする人類の祖先「グレート・シャーニー人類の旅(2013年6月9日まで)」を見てきました。過酷な自然環境に住む人々が日本人の顔に似ています。人は胎内で最初に腸が作られることを思い出し、顔の形は食生活、腸内環境で決まるのではないかと思いました。アジア人と欧米人の顔の違いは自然環境より、腸内環境の食生活が影響するのかなぁ、と、突拍子もないことが浮かびました。会場を出る時に、からだが語る江戸の文化「江戸人展(4月9日〜6月16日)」のポスターが目に入り、予告チラシを手にしました。予告チラシの中に、「”大江戸の顔”大江戸の人たちの研究から、武家と町人とでは顔つきがかなり異なっていたことが明らかになっています」。と書いてありました。昔は難解な本を読むと知的な顔になるとか、居酒屋ばかりで飲んでいるとその様な顔になるとか、言われたものです(居酒屋の顔つきがどんなものかわかりませんが・・・)。少し前まで、顔つきが脳や生活環境で造られる、或いは、変化すると、信じられていた様です。顔は男の履歴書とも云われます。男女共同参画社会では顔は女の履歴書でもあります。先の「江戸人展」を見ていないのでなんとも言えませんが、町人と武士の違いは、江戸ッ子の早食い、グルメ。武士は粗食で、良く噛むことによる腸内好環境で、武士らしい顔が造られるのではないかと推測します(実際に「江戸人展」を見てきましたら、武士は柔らかいもの食していて、貴族的な面長でした。顎が発達しなかったのでしょう)。さて、そこで「感動」です。「感動」することで腸内環境が良くなり、顔つき、または、顔が美形なれば、感動をテーマの本が売れますが、感動することで、腸内環境が良くなるのか、科学的に立証されていません。ただし、腸内はストレスに影響されることは分かっています。ですから、感動することは腸内環境を改善すると考えられますので、日々感動して、好感度の美しい顔つきになりましょう。なんちゃって(この部分蛇足)
英国の学説(2010年)では、女性がピンクや赤の色を好むのは、男が狩りをして暮らしていた時代の果実が成熟していくプロセスの色だからだそうです。日本の感動学からすれば、ピンクや赤は、男が狩りで仕留めた動物の肉の色でもあります。肉類や卵などに多く含まれる「アラキドン酸」は、その一部が化合物「エタノールアミン」と結合すると、「アナンダマイド」という物質に変化するといわれています。この「アナンダマイド」は、脳に作用し幸福感や楽しい気分をもたらすようです。大昔、男が狩りで射止めた、ピンクや赤の動物の肉は、女性への最高の贈物だったのではないかと思います。それで女性はピンクや赤を好み、本能的にプレゼントに感動するのかも。
野生のオスのチンバンジーが獲物の肉をメスチンバンジーに与えることがあるが、そのように肉をプレゼントしたメスとの交尾に至る確率は2倍に跳ね上がることが新たの研究でわかった・・・2009年4月発売の「PLoS ONE」誌。
久々に小説を読んで少し感動しました。その本は再読した松本清張の『或る「小倉日記傳」』です。主人公の重度の身体障者の田上耕作は、友人に勧められた森おう外の『独身』を読んで感動し、生き甲斐を見出すきっかけを得ます。生き甲斐は千里を走らせますが、生き甲斐の正体は、だいたいが虚しいものです(恋とおなじように他人にとっては理解できないことで、あんなつまら男(女)に・・・)。そもそも、恋もそうですが、生き甲斐の努力の成果が、社会的(人様)に価値ある物となるのは極めてまれです。主人公の田上耕作の奮闘努力も空しい結果になってしまいました。しかし、生き甲斐は勇気というか、生きることに向かう背中を押してくれます。人は、生き甲斐、夢中になれるものがあると、一日が充実します。そのきっかけは感動です。感動は「生き甲斐の母」。なんちゃって(この部分は蛇足)。
陰陽説と同じように、確認できている素粒子に対し暗黒の素粒子が存在します。感動は英語で[deligh]でしょうか。分解すると、[light]は光、[de]は脱・非。光と光の無い暗黒の組み合わせです。感動すると、喜び笑顔の場合と涙を流し泣く時があります。感動の「感」と「動」は、霊(精神の本体)と肉体でしょうか。素粒子のように見える世界と見えない世界。感動は反する世界への移動にぶつかり合い、爆発する、まさに小宇宙誕生のビックーバンではないかと思います。暮らしの中で例えれば、サウナの後の水風呂、寒い日の暖かいお風呂は、暖と冷、冷と暖のぶつかり合う、皮膚感覚の感動です。家やスポーツクラブなら「快い」という感じですが、寒い公園や路上で暮らす人には、まさに涙がでる感動だと思います。また、肌を触れ合うと気持ちが良いのは、皮膚感覚が心や脳と結ばれているからでしょうか。感受性が衰え、感動できない人には皮膚を優しくさすり、皮膚感覚を刺戟するとで、感受性が蘇り、感動できるよになるかもしれません。そして、落ち込んでいる時、明るい素敵な笑顔を見ると感動するようになれば素晴らしいことです。これは五感からくる霊の感動でしょう。人生が「楽と苦」で成り立っているなら、「苦から楽」の移動の爆発の感動は分かりますが、「楽から苦」の感動は分かりません。でも、こんな言葉があります。------「人生で最も胸が高鳴るのは他人のために生きる時です」、ヘレンケラー。感動は鏡で、自分も他人も感動させます。
哲学的に表現すれば、人の幸せは、残念ながら時として、他の人の不幸から成り立つ場合もあります。そこで、ちょっとした幸せを、とても大きな幸せに感じられる人に感動してしまいます。ささいな事を大きな感動でとらえられる人は、きっと、心の望遠鏡で未来が見える人なのでしょうかね。
曇っているから雨が降るのか、雨が降るから曇っているのか。和やかな気持ちだから笑顔がでるのか、笑顔だから和やかな気持ちになれるのか。心身がリフレッシュだから感動するのか、感動するから心身がリフレッシュするのか。感動することは、きっと免疫力を高め健康に良いのかもしれません(感動することがダイエットにも効果があることが科学的に証明されれば”感動ダイエット”が開発されて心までダイエットされていいですね)。
高齢者の未来は、日割で計算では若者より短いが、未来に投資する時間は結構ありますし、高齢者にも確実に未来(明日)は存在します。もしかすると、社会の人間関係や情報などの刺戟を浴びている若者より、高齢者には夢と希望が切実に必要
とされいて、また、高齢者には、人々を感動させる、輝く未来(夢と希望)を作る余力があります。
うつらうつらしていた時の夢の中のドラマの進行は、現実の速さの1000倍ともいわれます。また、飛んでくる玉や自動車の速度が現実よりスローモーションに見えることもあります。「感動」した時は、前者の脳時計が働くのでしょうか。となれば、毎日、感動して暮らす人は、現実より1000倍も得した(タイムイズマネー)人生になります。大きな感動は滅多に出合うものではありませんが、小さな感動は、気がつかないだけのようです。春には春の小さな感動を摘みましょう.。
陽が当たらない片隅で、健気に咲く小さな未来の花に、優しい眼差しを向ける力を知性と呼ぶならば、咲いた小さな花は感性の力で、その根の力は感動です。感動し、自分の持つ感性の力で、今は陽がそれほど当たらないけど、自分に小さな花を咲かせれば、やがて、人々の優しさに満ちた眼差しで、大輪の花へと成長させることも「CAN DO」です。そこで・・・ジャ〜ン↓
年を重ねると身体に筋トレと栄養が必要のように、心にも感トレと栄養が必要です。感トレとは、人が見逃しそうな小さい事だけど、人間とって大切なことに眼差しを向け、感受性を鍛える。心の栄養は、物事を肯定的に受け入れ「これは何ぞ!」と好奇心を旺盛にすること・・・でしょうか。孔子は『詩経』を読めと言っていますが、読書は感トレ・心の栄養にも手軽で効果的のようです。反省として、多読すぎて、なんにでも感動してしまうと、先人が言ったように、進む道はこの道だと、一点に絞れないというジレンマに陥りますが、震えるような感動と出合えば、出合った本人は幸せであるのは間違いないようです。
感動した時、体の芯から「ジ〜ン」と、熱いものが込み上げて来るので、「ジ〜ンと来た」と、言葉では表現します。これは、男性ホルモン(アンドロゲン=肌に潤い)が分泌されるからだと思われます。人類の感動(原始人類の感動)の始まりが、獲物を感知した時と考えれば、人は感動すると、(もちろん女性も)男性ホルモンの影響でポジティブ(能動的)になるのではないかと思います。 ともあれ感動するとポジティブになり、物事に対して肯定的になり、視野が広がり、感受性が育ち、感受性が豊になると、感動の深さも頻度も増して、善循環で、人生が楽しくなります。ちなみに、男性ホルモンではテストステロン、女性ではオキシトシンがあります。..
(ちなみに英語のEPICUREANは快楽主義とも美食家・食い道楽とも。人類の感動のルーツは獲物を捕まえ食べるにあるか?)
「感動」による株価の未来予測の研究調査もあるかもしれません。調査方法は、感動する話を聞かせたり、感動する映像を見せ、その後に、感動マークのハートを紙に描いて頂き、次に、感動の度合いを5段階で、回答して頂きます。そして、描いた感動マークのハートの大きさと感動の度合いの整合性を検討します。心理学的には、大きく感動マークのハートを描く時は、感動の度合いも高い結果となると思いますが、調査を考査・分析・検討してみないと分かりません。そして、最近の「感動の有無」の%や感動の度合いで、世の中と企業の従業員の明度を測り、感動と株価の因果関係を調査します。というような夢物語もありかなと、思っていますが、世の中の人々に役立つ調査研究が一番大事です。
公益財団法人日本生産性本部「生産性新聞」
世の中の人々が「感動」に関心が高かったり、マスコミで、「感動」の文言の露出頻度が多いと、世の中は明るい方向に向っているようです。小泉元首相が、大相撲夏場所に優勝した貴乃花へ、「感動した。おめでとう」と絶賛した、2001年。全国紙のアジア大会の社説大見出しが「感動の力に期待」とした 2002年。両年は、偶然にも自殺者が減少しています。
バーゲンで、同じ価格の同じ商品であっても、店内の平台にポッンと置いてあって、たやすく購入した時よりも、平台の多様な商品の山積みの中から、人を押し退けて、ゲットした時の方が、自分で選択したという決定感が高く、満足度も高いようです。それは、生得的なもののようです。テレビで紹介されたラーメン店に何時間も並んで.、食するのも、自分がその店のラーメンを選択したのだという決定感の意識が、並ぶことを苦にさせないのではないかと思います。人間が生まれ持った選択の本能(自分が選択したという意識)を加えれば、より深い感動を人に与えることができるかもしれません? (『『選択の科学』シーナ・アイエンガー著の本をヒントに)
頭(顔)がハート形の縄文土偶を見るたびに、この時代の人々が人体の医学知識を所有し、心臓の左心房・右心房を表現したのか、この時代に「心」という概念がすでにあって、リンゴの真中を縦に切った断面図のようなハート型は、人間の心の悪と善、または、人間の心の喜びと悲しみのシンボルなのだろうか・・・縄文時代の古代人のメッセージに、岡本太郎(太陽の塔)に、感動してしまいます。
つくり笑いでも、脳はリラックス(副交感神経が優位になる)すると言います。涙が出るから悲しいのか、悲しいから涙が出るのか。笑顔をつくるから楽しくなるのか、楽しいから笑顔になるのか。トキメクから感動するのか、感動するからトキメクのか。絶対に笑わない・泣かないと、構えて、映画を見ても、思わず大笑いしてしまう・号泣してしまう場合があります。(筋肉と心と脳との関係は如何にあるのか? 尊重関係にあるのか?)。ともかく、人に笑いや感動を与えるのも神業。笑ったり、感動するのも神業。これを身につけたら鬼に金棒です。
2011年世界の音楽界最高の栄誉とされるグラミー賞を日本人4人が同時受賞。2010年,2人の日本人がノーべル化学賞に輝きました。まさに感動です。日本の「国家デザイン局」、ないしは「未来構想局」といたしましては、学問技術・文化スポーツ・芸術芸能・思想などのあらゆる分野で、独創性に富んだ人材を輩出するための教育とサポートの環境整備への投資です。
昨今、責任逃れの風潮やベンチャ−起業家の輩出減などから、日本人のスピリットが劣化したと言われますが、経済が冷え込み、日本人のこまやかな感受性が萎縮し、感動する機会が少なくなったからです(?)。感動することは、脳にも体にもプラスに働きます。感動は一歩踏み出す勇気を背中から押してくれます。 詩人茨城のり子さんの作品『自分の感受性くらい』は、自分の志の弱さや怠慢さを友人や近親、暮らし向きや社会になすりつけてもしょうがないことを教えてくれます。(もちろん自力だけでは解決できない問題も多くありますが)。2010年は感受性を鍛え、感動と出合い、元気と勇気をとりもどし、知恵を出し合い、日本に景気回復のスパイラル風が吹く事を期待したいと思います。
さて、現代は「希望の破産した社会」ですか。「感動のある社会」ですか。「希望がなければ人は生きられない」とは、大恐慌と戦ったルーズベルト大統領が米国民を奮い立たせたスローガンです。さて、「感動」と「希望」の違いはなんでしょう。希望は共有できるが、感動は個別的なのでしょうか。それとも感動も希望も同じものなのでしょうか。ただ、「感動が一度きりの人生を豊かにしてくれる」ことは、間違いないようです。豊かな人生(幸福な人生)とは、きっと、夢や希望だけでなく、正義や勇気や優しさの心を失わない五穀米のような人生かもしれません。
プロスペクト理論(カーネルマンのノーベル経済学賞)では、200ドル得した時の嬉しさの数値が「25」なら、同額の200ドル損した時の悔しさや不快さは、倍の「50」を越えています。となれば、ハッピーな感動に比べ、映画を見て涙を流す不幸な悲しい時の感動の深さは2倍以上の数値かもしれません。だから、人は感動によって、優しくもなれ、自分の栄達以上に、人のために役立ちたいと、思うのかも知れません。義経や坂本竜馬や西郷隆盛のような悲劇の英雄を好くのは、日本人だけではないようですね。
戦には、戦闘の所作(シワザ)にたいする言技(コトワザ)があったと言います。口で相手を痺れさせてしまう魔力です。ドイツのゲーテ(1749〜1832)は、ひとつの事だけを言っていれば勝に決まっているものだと、書いています。政治用語では「シンブル・イシュー」と申すそうです。小泉総理は「改革なくして成長なし」、オバマ大統領は「YES WE CAN」のワンフレーズで、勝利しました。、ワンフレーズはインパクトが強いだけ短期戦には効果的のようです。「人民の 人民による 人民のための政治(リンカーン)」「ネバー ネバー ネバー ギブアップ(チャーチル)」「重ねて、重ねて、重ねて、いおう。あなた方の息子さんたちは、海外の戦場に送られることはない(ルーズベルト)」「君たちの声が私に聞こえる。世界が君たちの声を聞く。ビルを倒した連中も間もなく我々の声を聞く(ブッシュ)」は、有名なスピーチの一節です。歌舞伎狂言『忠臣蔵』」では、師直が「口説いて、口説いて 口説き抜く」と言い、歌舞伎十八番の『暫』では、「しばらく しばらく しばらく」と、言って、主人公が登場します。女優若尾文子さんが、病床の夫(世界的な建築家)黒川紀章さんに、私って、いい奥さんじゃなかったわねって、話しかけたら、黒川さんは、「そんなこと、そんなこと、そんなこと」って、3度繰り返した後、だって本当に好きだったんだかと言った話しは、心温まる夫婦愛のエピソードとして有名ですが、もしかすると、人が感動する言葉には、法則があるのかも知れません。
2008年、4人の日本人がノーベル賞に輝きました。まさに感動です。平和憲法下での日本の未来構想(国家デザイン局)の柱は、学問技術・文化スポーツ・芸術芸能・思想などのあらゆる分野で、独創性に富んだ人材を輩出するための教育と環境整備です。そして、世界中のあらゆる分野のキー・パーソンをお弟子さんにして、世界中のお弟子さんから、「価値ある情報」を日本に集積します。そうすると、世界中の各界のリーダーが助言を求めに日本を訪れ、世界中のリーダーの「悩み」・「課題」、各国の「機密情報」が、日本に寄せ集められ、「日本語」は、世界中の知識人の教養用語となります。観光立国・人材立国・技術立国・情報立国などなどになった日本は、世界平和に貢献し、こうして世界は平和になるのです(笑)。独創的な”学”の「感動学」は、日本の世界平和構想の基礎研究で、 50年、100年、150年後にはノーベル平和賞??
さて、さて、ハート形の縄文土偶を見ると、古代人は、現代人と反対に、心が脳を支配していると、思っていたのではないだろうか。頭で感じることは、痛みや重く感じるぐらいで、多彩な変化を感受する心(実際は脳が感じているのだが)には、とうてい及ばない。古代人にとって、鋭敏な心が、人生の羅針盤だったのではないだろうか。
文章で「感動」という文字をめったに使わない司馬遼太郎さんが、「”人”という文字を見ると、ときどきひどく感動する」と書いている。巨人司馬遼の歴史小説の原点が、そこにあるような気がする。人はそれぞれ、意外な事にひどく感動するには驚かされる。女優の高樹沙耶さんが、水中での感動体験で、フリーダイビングの道を選び、テレビ番組の「金八先生」に感動して、TV局に入った人など。サラリーマン・芸術家・経営者・職人・芸能人・エンジニア・アスリートが、なにに感動して現在の職業を選択したか。また、著名人の感動の定義や感動を暮らしにどのように役立てているかなどを私は少しずつ収集している。それぞれの人間には、なにか一つだけは、他人にない"ひどく感動する遺伝子"があるような気がする。だから頭で考えて足ふみをしたり、他人の能力や環境と較べて、好きな道をアキラメルのは、あまり意味がないかもしれない。大きく感動したならば、一歩踏み出せば、まさに英語の”CAN DO”(内在する能力)で、意外な人生をつかめることができるのではないか。脳科学的に表現すれば、感動遺伝子には持続性も備わっているからだ。自分が持つ”感動遺伝子”を目覚めさせ、眠っているたくさんの遺伝子を活性化させた人の人生が充実するなら、感動を調査研究することは、人々の幸せに結びつく。
さて、感動することの大切さを訴える人や書籍も多く、「感動」でインターネットを検索すると七百万件ほどのホームページがある。
イギリスの批評家・詩人M・アーノルドの定義、宗教なるものは、「情緒によって感動されたる道徳」と言ったが、感動を歴史の視点でとらえると、旧約聖書には、「聖書はみな神の感動によるものにして、・・・・・」とあるそうだ。東洋では、「感は動なり。感あれば必ず応あり。およそ動くこと有ればみな感をなす」と言ったのは、朱子学の基本概念を創った、程正叔である。出所は中国古典『易経』だ。この下巻の初めに、「天地感(感動)じて万物化成し、人心を感じしめて(感動させ)天下和平す」とある。すべては感動から始まるというのは世界共通である。論語には「子いわく、詩に興り・・・」とあり、孔子は、人間の学問にたいする興味は、『詩経』を読んで興奮をおぼえることから出発するのが良いといっている。また、ノーベル文学賞の詩人T・Sエリオット、「詩は、感動のとりとめ廻転ではない。感動からの遁走である」と、言っている。
中国の唐時代の東洋心理学書も兼ねた書道の本『書譜』は”感動”が主題であり、日本の世阿弥は「そもそも、芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感(感動)をなさむ事・・・」というように、芸や変身することの追求に人生を捧げていた。 ”幕末の高杉晋作は「心すでに感(感動)ずれば、すなわち口に発(生まれ)して声となる(=シャウトの法則)」といい、「我自ら感じた後、人これを感ずる」といったのは儒学者佐藤一斎である。時代が下って、明治の文豪森鴎外は、informationを情報と訳したが、「人の受ける感動は、目前に見るを以て、尤(もっとも)強し」といっている。
感動は古語で”かま(感と書く)ける”といい、かま(感)けわざというと神に捧げる豊作を祈る踊りとなる。 日本でいう神は動物だろうと、人間だろうと、なみなみならぬ勢いをもったものが神であったそうだ。人々は 感動したので、祭ったのではないのか。感動もいいことばかりではなく、「感情に深みのない人間の方が感動させられやすい」とは、中国の作家老舎の言葉だ。儒教朱子学の朱子は「心感(感動)ずる所に邪正有り、故に言の形す所に是非有り」といった。
私の感動の調査・研究もスタート台についたばかりで、やることが山ほどあるから、今は、結論より、ああでもないこうでもないの状態である。ただ、ある種の感動によって、みんながいい人生をつかむことができれば、感動学の調査立つことになる。