植芝盛平翁が亡くなり、高弟であった故人の諸師範たちが懸念していたことは、将来合気道の形稽古が流麗な"殺陣化"することでした。合気道の技は開祖が「相手と一体になれば絶え間なく技が生まれる」というように技の数の多さも合気道の特徴ですが、その技を動作するコンピュータでいうところのOSが大事です。ともすると合気道が"殺陣化"すると流麗なだけに目がいき、不世出の天才武道家合気道開祖の理合(技に触れた隠喩)も絶えてしまいます。ただし近代武道合気道開祖植芝盛平翁の合気道を修行者・愛好者として視点であって、世に合気道と標榜する派は多くありますので、合気道の修行者・愛好者によっては以下についてはて馬に念仏です。
開祖植芝盛平翁の不争不敗の合気道の理合は実生活でも役に立ち、開祖曰く「合気道は爺(自分)しかできない」「合気道はイザナギの命・イザナミの命の(陰陽二神)が行っている」「石につまずく。それが合気道だ」など、合気道の技に触れた隠喩法の言葉がコンピュータでいうOSであり、見た目だろうと思われる手の握る・開くも陰陽であり、技の理合の源泉で、開祖は「梅が開いて、松で治める」「一方の手で力を強く握れば、一方の手は逃がす」と。「翁先生が手を開いている時は握るのが正しい。翁先生は逆を示している」と言う高弟師範もいましたが、武道史ではありえます。
無抵抗な藁人形を投げるには、誰でも十や二十の手は披露できますが、敵対する人間にその手が使えるかは別です。また研究の道具が藁人形なら別ですが、ただ藁人形を投げるだけでは。OSも理合もなんの価値もありません。敵対る生身の人間を投げる打つの難しさは競技武道の試合を観戦れば一目瞭然です。それも開祖のいう「触れ合いで勝敗が決まる」を具現化するには、失敗を重ね練に練った理合が根になければ技は吹き出しません。相手によりますが、開祖の高弟たちが口にしていたのは「一人の人間を投げるは難しいものである」という言葉でした。実戦・試合からの実体感であり、そのような貴重な開祖と高弟の理合いを無視するより稽古に活かす方が得策です。
開祖の理合、技に触れた言葉(隠喩法)もやがて、合気道修行者・愛好者も探求するこもなくす。そこでなんらかの痕跡なりメッセージだけは残しておかなければなりません。合気道は形稽古です。形稽古が演武用稽古になり、受身は重要ですが受身だけが上達し、比例して技は武術性から離れる、いわゆる開祖植芝盛平翁の理合から乖離する、触合いに緊張感のない安心安全(フェイントもなく)の見映え優先の形稽古になり、技が掛からなければ力任せの合気道形稽古になっています。また腕力や体の大きい人や合気道を職業としている指導者は、相手に技を掛けることができるが、体力や腕力が劣る人は難しいというのでは、開祖の理合から学んでいるとは、言えるないかもしれません。
〇開祖が合気道の技に触れた隠喩に従う九の稽古
基本的には構えない合気道。あえていえば自然体(無形)の構え。自分が構えれば、相手も構える。互いが構えなければ争いもなく、構えて半身になれば攻めどころが見えて、入身も容易にになります。しかし相手に技を掛ける時は無形の構から半身で、投げた後も、相手の斜め四五°に左半身(または右半身)で、後ろまたは前に立つ。でないと相手が投げられながら頭部への蹴り、また例えば柔道家金メタリスト角田夏実の巴投げと寝技を仕掛ける手・足の攻撃が避けられません。相手が拳で突く攻撃を相手が掴みにきた時と同じに様に捌き、技を掛けられなければ、開祖の「合気道は爺(自分)しかできない」合気道ではありません。少しでも開祖の合気道を探求するには、従来の稽古に武術性を加味した稽古を加えることになります。しかし開祖から承認されたわけでないので、あくまで開祖の技に触れた(隠喩法)言葉からの推測で、それも正鵠かも分からない心細さがりますが開祖の合気道を探求するには従来の稽古に武術性を加味した稽古を加えることになります。
1,四方投げは相手の手首を片手で掴んで行う。開祖の隠喩では『一方の手で技を掛け(または片手をそえる)、一方の手で防御』です。片手ですることで、裏表が自由に入れるます。技が100%と上手くいくは分りません。当然相手は握られていない手で攻撃して攻撃します。四方投げも相手の体勢を崩さなければ、敵対する相手が腰・肘を落とせば、そう容易に裏表に入身できません。相手が正面を突いてくれば、@正面突きの投げ技、相手の突いてきた拳を四五°円転しながら正中線に落とし、一方の手は挙上しA相手の拳の手首を持ち、相手の懐に四五°入身し、一方の挙上した手を相手の拳の腕の下から上に上げ、肘関節を突き上げる天秤投げの技に入る(または挙上した手を肘関節に落とし相手の腰を砕いて)。B懐を抜けて一八〇°円転し、四方投げに入る。相手の拳の手を正中線に落とし、相手に斜め四五°半身になり片膝で相手の頬と腕と抑える。相手の手が拳で相手の姿勢が崩れていなれば裏に入るのは容易ではないので、相手の手を落としながら引っ張り、それに相手が反応し抵抗した時、または相手の体勢を崩して裏に入身します。両手で行うと相手を回そうとします。正中線に両手でも落とせますが、一方の手は添えるだけで、それも開祖は言っていますが、一方の手は防御や相手が抵抗した場合、相手に抵抗されている手を忘れ、自由な手で相手のいいなりの方向で技を掛ければ相手は抵抗もなく、勝手に倒れます。特に一教や三教の場合は、片手でも十分ですから片手で行い、片手の稽古の意味を汲み取ります。
★合気道は流れの中で技が変化し、プロセスに技が秘められているのは、相手の抵抗により技が変化す 開祖の隠喩「合気道は触合いで決まっている」「技は常に変化して新しい技を生む」を知る稽古です。
2,相手の正面突きは、下から抱え掬って、一方の手はは挙上し、四五°度円転し、正中線に落とし、相手に対して半身になり死角に立ち、相手の次の攻撃を挙上した手で防御する。正中線に落とすのと四五°円転はセットの動作で、また下げた手と挙上した手も同時セットで、ここで相手の拳を落とす時、開祖の言葉「石につまずく」のリズムで体を縮ませて伸びる。開祖は「縮まなければ大きく伸びない(陰陽の動作)」いう。これを中高年まで長く維持するには、稽古前に腰のストレッチをすると、中高年になっても腰の上下が維持できます。
★腰を落とじ、伸ばすの陰陽と下げる手と挙上する手の陰陽が打撃に対しての効果を知る稽古で、開祖の 隠喩「縮まなければ大きく伸びない」の「イザナミ・イザナギ」の陰陽を学ぶ稽古
3、正面打ちは、切り下ろす打ち方でなく、「正面突き」での稽古をする。左右の連打に対し、特に矢筈の裏から入身投げの稽古をします。「裏の矢筈」は。表の矢筈の反対に相手の側面に三角に入身する、正面突きに対して合気道の入身の集大成の一つともいえる技を稽古する。相手が右手で正面を突いてきたら、右側面へ三角法で両手を鶴が羽を広げるようにして入身をし、左手で顔に当身を入れ、右回旋しながら左手で相手の首を捕らえ、正中線に落とし、相手が起き上がる時、顎が上がるように右手を相手を誘うように、顔面を擦るように挙上する。相手は足を泳がせ転倒する。相手が転倒を我慢した場合は、挙上した手を肩(または顔に)に落とし、一方の左手を挙上し相手と半身になる。相手の顎さえ上げれば、相手は鉄棒の逆上がり姿勢で後転する。今風に相手の首に手を巻き付ければ、相手はその手をつかまえ、腰投げを掛けることになる。入身投げの歴史は、腕で顎を反らすから、腕で相手の顎を巻き込むと変化している。間違いは、?小手返しで相手を円で横に回す事、?呼吸の鍛錬で、相手に片腕を両手を持たれた場合、握られた腕を横に押す事。押し返せば相手も有利な姿勢で押し返す。円転して腕を挙上すれば相手は鉄棒の逆上がりの姿勢になり腕の鉄棒が挙上するので後転する。B一教・二教は□(四角)でなく◇(菱形)で抑える。三教は相手が後ろ襲って来た時に逃げ口を確保する・四教の抑は肩を抑えるという理合がある。
★「触合いで勝敗が決まる」の開祖の言葉を立証する知る稽古する。
4、相手の連打と相手がどちらの手で突いてくるか分からない状態での稽古をする。開祖は「合気道に構えがない」、相手に「自然体」で立てという。自然体は隙だらけで、構え無い(無形の構え)は、攻撃が容易そうだが、シャドウボクシングのように連打の攻撃する相手の不意打ちの正面突きに対処する稽古をする。相手が右拳で突いてくれば、左手で右拳を軽く落とすと同時に、相手に左半身に転身し、続いて相手が左拳で攻撃すれば右手で相手の左拳を正中線に大きく落とし、右回旋して小手返しで相手の突いてきた左手首を捻じる。※相手の蹴りには常に自然体から相手に対して入身・引身で四五°半身の死角に立つ。また開身・受身の剣を稽古し相手の蹴り足を下から掬う稽古をする。
★開祖の「合気道は構えがない」の意味を知る稽古をする。
5、円転の理・三角法を用いた当身の稽古をする。触合いにおいて、当身一撃で相手を制するか当身は技に導く入口として用いる目的と手段を知る稽古をする。一足丸く円転の入身をし、相手の脇腹(肋骨)を打つ。三角に入身し足はそのままの位置で腰だけを回し、相手の顔・脇腹を打つ。または九〇°円転し脇腹を打つ。それから(ex.小手返し・回転投げ・一教裏)技に入る。
★開祖の実戦に於ける「当身七分、投げ三分」を稽古する。
6、相手を力で回さない稽古をする。突いてきた相手の腕を落として、円転して投げる場合、自分の腰を落とし、相手が天地に斜め四五°楕円に円転するように、相手を自分の正中線に落とし、相手を受身の姿勢に導き、瞬時にリズムで自分の腰を立たせ、天地に対して斜め四五°の楕円を描き、相手に技を掛ける。相手が抵抗・我慢したときは、意識を一方の挙上した手に移し、頭上に挙げている手を相手の首に落とし相手を投げる。挙上した手は常に開き、打ち落とす手は握り拳(梅が開いて松で収める)にしする。
★開祖の「イザナミ・イザナギ」の「梅が開いて・松で治める」など力に頼らない意識の転換で陰陽の基本を 稽古する。
7、両手を用い、左右の手が対称の陰と陽(イザナミ・イザナギ) が形成さられるような 稽古をする。相手を投げた(倒れた)時、相手が投げられ(倒れ)ながらの顔・上半身の攻撃(蹴り)の防御に一方の手を挙上する。また投げた相手に手や胸を掴まれ引き込まれ、寝技に持ち込まれないないように、一方の手を挙上し防御する。地の貯水槽(松)にホースを差し込み勢いよく天に放出(梅)する如く、転倒しながらの相手の腹部・顔への蹴りをディフェンスし、陰陽の動作を稽古する。
★開祖の「一方の手で技を掛け、一方に手で防禦する」の稽古をする。
8、相手の正面に入身の場合、進みて斜めに(四五°)に伸び、斜めに(四五°)に引身で縮む稽古をし、上下・斜めの四五°の入身・引身(進む・退くの陰陽)で、相手の連打の攻撃を避ける。開祖は、縮まなければ大きく伸びないという。伸びる・縮むは陰陽である。開祖の合気道のベースのイザナミ・イザナギであり、この陰陽の繰り返しの稽古をする。
★開祖の「三角に動いて丸く捌いて、四角で留める」の相手と並ぶ開身以外は三角に動く稽古をする。
9,後ろから腰を落とした屈強の相手に両腕を抑え抱えられてのリズムで、体を縮ませて伸びる稽古。足底(足裏)を大地にぶつけるようにし、瞬時に体を縮ませ伸びる。相手の腕の輪と自分の両腕との間に隙間ができた時、斜め(四五°)円転しながら、手を天地に置き、挙上した手から体を斜めにしてすり抜け技(ex一教など))を掛ける。
★開祖の「石に躓く、それが合気道だ」を稽古をする。