「植芝守平と合気道の戦う力」PERT2を想定して粗い大略を随時加筆中
植芝盛平翁がお亡くなり、高弟であった故人の諸師範たちが懸念していたことは、将来合気道の形稽古が流麗な"殺陣化"することでした。合気道の技は開祖が「相手と一体になれば絶え間なく技が生まれる」というように技の数の多さも合気道の特徴ですが、その技を動作するコンピュータでいうところのOSが大事です。ともすると合気道が"殺陣化"すると流麗な点なだけに目がいき、不世出の天才武道家合気道開祖の理合(技に触れた隠喩)も絶えてしまいます。ただし、あくまで、開祖植芝盛平翁の合気道の修行者・愛好者の視点からであって、世に合気道と標榜する個人・会・団体・流派は多くありますから、その合気道の修行者・愛好者にとっては、以下についてはて「馬に念仏」で、不毛な探求かもしれません。また[迷惑な探求でもあり」当然のように界隈からお叱り、嘲笑、色々あります。かって文芸評論家進藤純孝氏は、全国紙での小林秀雄追悼文の依頼を受けった時、小林秀雄がいった、ある言葉を理解できず、書けなかったそうです。開祖の合気道は、伊弉冉・伊弉諾の命が爺の体内に入って行っている、ただこのことを生きてる間に理解したいと思っているだけです。
開祖の合気道のその他との大まかな違いは、〇△□の□が◇の抑えになっていない、基本技を正面突で稽古を行なわない、左右の手の用い方に陰陽がない、手の挙上がない、手の平の開閉がない、入身(前進)は直進と円転・斜(三角法)、引身(後退)は、相手に常に斜(三角法)に立つ稽古をしていないなどでしょうか。もちろん各々に理合(エビデンス)があります。開祖が日比谷公会堂での公開演武で「合気道は爺(自分)しかできない」と明言するのですから、開祖が到達した合気道は、道理で推測すれば、洗練され、シンプルで、技に誰もが納得する理合があるのだろうと、思われます。不世出の天才武道家が生涯の修行で開眼・暁悟の合気道が、たとえ少数であれ、世間で武術性(実戦性)に不信感を持たれることがあれば、開祖は「合気道は爺(自分)しかできない」と言わざる得ないでしょう。ちなみに開祖より直接に開祖の合気道が負けないことは、何度かお聞きしました。
開祖植芝盛平翁の不争不敗の合気道の理合は実生活でも役に立ち、開祖曰く「合気道は爺(自分)しかできない」「合気道はイザナギの命・イザナミの命の(陰陽二神)が行っている」「石につまずく。それが合気道だ」など、合気道の技に触れた隠喩法の言葉がコンピュータでいうOSであり、見た目だろうと思われる手の握る・開くも陰陽であり、技の理合の源泉で、開祖は「梅が開いて、松で治める」「一方の手で力を強く握(閉じ)れば、一方の手は(開き)逃がす」と。余談ですが、「翁先生が手を開いている時は握るのが正しい。翁先生は逆を示している」と言う高弟師範もいましたが、武道史ではありえることです。
相手の右手の拳を自分の左手で、自分の正中線に向けて斬り下げると、、自然体から45°円転し、半身になり、、左手は自分の懐に入り、右手は、相手の正中線を斬り上げている。立ち位置は相手の斜め45°で半身である。これは自然の動きで、分かりやすく、ボクシングで表現すれば、相手の連打、右手のジャブ・左手のストレート、フックの攻撃を防御していることになります。自分の正中線に一方の手を下げると、一方の手は,相手の正中線に上がっていく。相手の突いてくる拳を左手で落とすと同時に、、右手は相手の正中線、胸や顔にあるにとになります。自分の正中線は、相手の正中線と陰陽の関係あって、下げる上げるも陰陽の関係にあります。これらはイザナギの命・イザナミの命の(陰陽二神)が行っている合気道の自然の運動の一部です。開祖が修行した柳生新陰流の極意で、人中線を斬ると書いてあります。
「下げる手は握り、挙上する手は開く(梅が開いて・松で留める)」に対して、「手の開く・握るは、見た目であって、それは承服できない」と、達人で噛みつく人がいますが、その指摘は、間違いです。手の陰陽の理合はこうです。受手と取手が相対し、受手(攻撃側)が右手で突いてくる拳を、取手(技を施す側)が左手で落とす。取手の落とす左手と、受手の拳の右手が交差すると、受手は抗うために拳の右手に力を入れます。そこに受手と取手と力の争いが起こります。それを受信した取手は、素早く、挙上する右手に意識を移します(左手に意識が行くと、相手の右手と争うことになります)。受手は、突いた右手の抗う力が抜けます。それは人間には飢餓が脳にインプットされているので省エネルギー化するように出来ているからです(転換の稽古で、相手に持たれた手でなく、反対の手に意識を移して、転換することで実感できます。ですから転換の稽古が大事なのです)。さて、取手が右手を挙上すれば、取手の左手はより下がり、その左手を握りますから、小指の筋が肩甲骨・背の筋肉に結んでいるので、握ることで力が加わります。そして飛んできた矢が剣で落とされる如く、受手の突いてきた腕が斜め45°に落とされ、、体が転がる・宙に舞うのです。ですから手の開く・握るが陰陽が大事なのです。また技を掛けるには、右手、左手(左手、右手)を交互に用いて技を掛けます。右手が陽、左手が陰で、陰陽、或いは、陽陰で技を掛けます。これは合気道というより、体術の技を掛ける時に主の手と従の手があることで(体もそうです)、これも陰陽(伊弉冉・伊弉諾)です。左右の手の用い方は、故黒岩洋志雄師範が生前言われていたことで、まさしくそうの通りです。
無抵抗な藁人形を投げるには、誰でも十や二十の手は披露できますが、敵対する人間にその手が使えるかは別です。また研究の道具が藁人形なら別ですが、ただ藁人形を投げるだけでは。OSも理合もなんの価値もありません。敵対る生身の人間を投げる打つの難しさは競技武道の試合を観戦れば一目瞭然です。それも開祖のいう「触れ合いで勝敗が決まる」を具現化するには、失敗を重ね練に練った理合が根になければ技は吹き出しません。相手によりますが、開祖の高弟たちが口にしていたのは「一人の人間を投げるは難しいものである」という言葉でした。実戦・試合からの実体感であり、そのような貴重な開祖と高弟の理合いを無視するより稽古に活かす方が得策です。
投げたると同時に一方の手を挙上するのは、空中での相手の蹴りへの防御でもあり、転倒した相手の巴投げなどに引き込まれないためでもあります。また転身・転換で一方の手を挙上するのは、例えば突き対して相手の手首だけでなく、、拳の引きの早い場合にでも、引いた後の手の首・襟首・二の腕などを手を下げながら(落としながら)捕らえることができるからです。いわば俯瞰で相手の突きの動きをを見ることです。突きの手に集中して見ないことです。一方の手を挙上するのは、開祖の合気道の陰陽の基本です。挙上は、開祖の受けを体験して、2つ学んだ中のその一つです。
例えば、胸取り、相手(受け)が右手で左胸を掴んだ場合、初動は、自分(取手)は左右いずれかの45°斜めに引身し、立ち位置は相手の外・内の半身の斜め45°になる。同時に、初動の時、相手が左胸を掴んだ左手を、取手は右手で上から相手の左を捕らえ、左手は下げて引くと、相手(受手)は、左手で、取手の右手を捕らえ押すと、相手に封じ込まれている状態になり、取手の下げた左手は下からの受手への当身もできず、胸取りの技が成り立たない。開祖の言葉から二つの解決法があります。一つは取手は左手を下げるのでなく、挙上する。すると、受手は、取手の挙上した左手の攻撃が気になります。二つ目は左手を下げるなら、自分の正中線に向けて下げ(落とし)相手に半身になることです。なぜそれが開祖の言葉かについてですが、開祖が、合気道を教授する代わりに柳生新陰流を教授された柳生新陰流の極意だからです。柳生新陰流では、正中線といわず、人中線といいます。
合気道の三要素・・・リズム(呼吸)・陰陽・正中線
「肩取り」も「片手取り」も「四方投げ」も当然、理合(OS)は同じです。一、受手(相手)が右手で取手の左手を掴む。受手の左手で攻撃されないように、取手は右手を広げながら挙上する。同時に受手に掴まれた左手は握りながら正中線に落とし、同時に身体を四五°回転させ受手に斜め四五°右半身になる。受手は、取手の四五°傾斜の楕円の動きで態勢が崩されないように、取手の左手を掴んだ右手が落ちないように意識(力)が上に向かう。取手はその受手の上に向かう意識を用い、取手は受手の右手を掴んだ右手を挙げる。(取手の左右の手が交差する時に下記を同時に行う)二、取手は、挙上した右手を下げながら受手の右手(受手が取手の左手を掴んだ手)を掴む(握る)。下げた左手(受手が右手で掴んだ取手の左手)は、開きながら押し出し(受手の態勢を崩す)上げる。取手は、崩されないように、意識(力)が下に向く。その意識を用い、取手は左手(受手の右手で掴まれた取手の左手)を下げる。取手の右手(受手の右手を掴んだ右手)さらに上げる。取手は、下げた左手を上げ、受手の右手の肘を上げると同時に上げた右手は下げる。※理合の説明
一、手は上下する。開いた手は下げて握る。握つた手は挙上して開く(開祖の梅が開いて松で治める。合気道はイザナミ・イザナギの命(陰陽二神)が行っている。交互に陰陽を行う).。.二、右手と左手は交互に主・従で行う。(開祖の梅が開いて松で治めるの繰り返し)。三、触れ合いで陰陽を創り(開祖は、触合いで勝敗は決まると言われた)、相手の意識に結ぶ(結び)。後は不争(争わない)。技はイザナミ・イザナギの命が行う(導てくれる)。開祖は「爺は、ただ立つていればいい」と言われた。
開祖の理合、技に触れた言葉(隠喩法)もやがて、合気道修行者・愛好者も探求するこもなくす。そこでなんらかの痕跡なりメッセージだけは残しておかなければなりません。合気道は形稽古です。形稽古が演武用稽古になり、受身は重要ですが受身だけが上達し、比例して技は武術性から離れる、いわゆる開祖植芝盛平翁の理合から乖離する、触合いに緊張感のない安心安全(フェイントもなく)の見映え優先の形稽古になり、技が掛からなければ力任せの合気道形稽古になっています。また腕力や体の大きい人や合気道を職業としている指導者は、相手に技を掛けることができるが、体力や腕力が劣る人は難しいというのでは、開祖の理合から学んでいるとは、言えるないかもしれません。
〇開祖が合気道の技に触れた隠喩に従う九の稽古
基本的には構えない合気道。あえていえば自然体(無形)の構え。自分が構えれば、相手も構える。互いが構えなければ争いもなく、構えて半身になれば攻めどころが見えて、入身も容易にになります。しかし相手に技を掛ける時は無形の構から半身で、投げた後も、相手の斜め四五°に左半身(または右半身)で、後ろまたは前に立つ。でないと相手が投げられながら頭部への蹴り、また例えば柔道家金メタリスト角田夏実の巴投げと寝技を仕掛ける手・足の攻撃が避けられません。相手が拳で突く攻撃を相手が掴みにきた時と同じに様に捌き、技を掛けられなければ、開祖の「合気道は爺(自分)しかできない」合気道ではありません。少しでも開祖の合気道を探求するには、従来の稽古に武術性を加味した稽古を加えることになります。しかし開祖から承認されたわけでないので、あくまで開祖の技に触れた(隠喩法)言葉からの推測で、それも正鵠かも分からない心細さがりますが、開祖の合気道を探求するには従来の稽古に武術性を加味した稽古を加えることになります。
1,四方投げは相手の手首を片手で掴んで行う。開祖の隠喩では『一方の手で技を掛け(または片手をそえる)、一方の手で防御』です。片手ですることで、裏表が自由に入れるます。技が100%と上手くいくは分りません。当然相手は握られていない手で攻撃して攻撃します。四方投げも相手の体勢を崩さなければ、敵対する相手が腰・肘を落とせば、そう容易に裏表に入身できません。相手が突いてきた拳の手を握ろうとしても、引きが早ければ、捉えることが出来ないケースもあります。手を回して相手の突きの拳の手を捕らえようとすると、相手に脇腹を見せることになります。自分が動いた時の立ち位置は、、必ず、相手に対して45°斜めの半身になります。相手を投げても技を掛けても、、相手に対して両足が横に並んでいては、手あるいは足で相手に、金的を狙われます。開祖の合気道は、武道ですから、投げたら終わり、技を掛けたら終わりではないのです。その事を心底に置いて稽古をすれば、開祖の「試合より研究が大事」の言葉の意味が理解できます。相手が正面を突いてくれば、@正面突きの投げ技、相手の突いてきた拳を四五°円転しながら正中線に落とし(丸く捌くのではない)、一方の手は挙上しA相手の拳の手首を持ち、相手の懐に四五°入身し、一方の挙上した手を相手の拳の腕の下から上に上げ、肘関節を突き上げる天秤投げの技に入る(または挙上した手を肘関節に落とし相手の腰を砕いて)。B懐を抜けて一八〇°円転し、四方投げに入る。相手の拳の手を正中線に落とし、相手に斜め四五°半身になり片膝で相手の頬と腕と抑える。相手の手が拳で相手の姿勢が崩れていなれば裏に入るのは容易ではないので、相手の手を落としながら引っ張り、それに相手が反応し抵抗した時、または相手の体勢を崩して裏に入身します。両手で行うと相手を回そうとします。正中線に両手でも落とせますが、一方の手は添えるだけで、それも開祖は言っていますが、一方の手は防御や相手が抵抗した場合、相手に抵抗されている手を忘れ、自由な手で相手のいいなりの方向で技を掛ければ相手は抵抗もなく、勝手に倒れます。特に一教や三教の場合は、片手でも十分ですから片手で行い、片手の稽古の意味を汲み取ります。
★合気道は流れの中で技が変化し、プロセスに技が秘められているのは、相手の抵抗により技が変化す 開祖の隠喩「合気道は触合いで決まっている」「技は常に変化して新しい技を生む」を知る稽古です。
2,相手の正面突きは、下から抱え掬って、一方の手はは挙上し、四五°度円転し、正中線に落とし、相手に対して半身になり死角に立ち、相手の次の攻撃を挙上した手で防御する。正中線に落とすのと四五°円転はセットの動作で、また下げた手と挙上した手も同時セットで、ここで相手の拳を落とす時、開祖の言葉「石につまずく」のリズムで体を縮ませて伸びる。開祖は「縮まなければ大きく伸びない(陰陽の動作)」いう。これを中高年まで長く維持するには、稽古前に腰のストレッチをすると、中高年になっても腰の上下が維持できます。
★腰を落とじ、伸ばすの陰陽と下げる手と挙上する手の陰陽が打撃に対しての効果を知る稽古で、開祖の 隠喩「縮まなければ大きく伸びない」の「イザナミ・イザナギ」の陰陽を学ぶ稽古
3、正面打ちは、切り下ろす打ち方でなく、「正面突き」での稽古をする。左右の連打に対し、特に矢筈の裏から入身投げの稽古をします。「裏の矢筈」は。表の矢筈の反対に相手の側面に三角に入身する、正面突きに対して合気道の入身の集大成の一つともいえる技を稽古する。相手が右手で正面を突いてきたら、右側面へ三角法で両手を鶴が羽を広げるようにして入身をし、左手で顔に当身を入れ、右回旋しながら左手で相手の首を捕らえ、正中線に落とし、相手が起き上がる時、顎が上がるように右手を相手を誘うように、顔面を擦るように挙上する。相手は足を泳がせ転倒する。相手が転倒を我慢した場合は、挙上した手を肩(または顔に)に落とし、一方の左手を挙上し相手と半身になる。相手の顎さえ上げれば、相手は鉄棒の逆上がり姿勢で後転する。今風に相手の首に手を巻き付ければ、相手はその手をつかまえ、腰投げを掛けることになる。入身投げの歴史は、腕で顎を反らすから、腕で相手の顎を巻き込むと変化している。間違いは、?小手返しで相手を円で横に回す事、?呼吸の鍛錬で、相手に片腕を両手を持たれた場合、握られた腕を横に押す事。押し返せば相手も有利な姿勢で押し返す。円転して腕を挙上すれば相手は鉄棒の逆上がりの姿勢になり腕の鉄棒が挙上するので後転する。B一教・二教は□(四角)でなく◇(菱形)で抑える。三教は相手が後ろ襲って来た時に逃げ口を確保する・四教の抑は肩を抑えるという理合がある。
★「触合いで勝敗が決まる」の開祖の言葉を立証する知る稽古する。
4、相手の連打と相手がどちらの手で突いてくるか分からない状態での稽古をする。開祖は「合気道に構えがない」、相手に「自然体」で立てという。自然体は隙だらけで、構え無い(無形の構え)は、攻撃が容易そうだが、シャドウボクシングのように連打の攻撃する相手の不意打ちの正面突きに対処する稽古をする。相手が右拳で突いてくれば、左手で右拳を軽く落とすと同時に、相手に左半身に転身し、続いて相手が左拳で攻撃すれば右手で相手の左拳を正中線に大きく落とし、右回旋して小手返しで相手の突いてきた左手首を捻じる。※相手の蹴りには常に自然体から相手に対して入身・引身で四五°半身の死角に立つ。また開身・受身の剣を稽古し相手の蹴り足を下から掬う稽古をする。
★開祖の「合気道は構えがない」の意味を知る稽古をする。
5、円転の理・三角法を用いた当身の稽古をする。触合いにおいて、当身一撃で相手を制するか当身は技に導く入口として用いる目的と手段を知る稽古をする。一足丸く円転の入身をし、相手の脇腹(肋骨)を打つ。三角に入身し足はそのままの位置で腰だけを回し、相手の顔・脇腹を打つ。または九〇°円転し脇腹を打つ。それから(ex.小手返し・回転投げ・一教裏)技に入る。
★開祖の実戦に於ける「当身七分、投げ三分」を稽古する。
6、相手を力で回さない稽古をする。突いてきた相手の腕を落として、円転して投げる場合、自分の腰を落とし、相手が天地に斜め四五°楕円に円転するように、相手を自分の正中線に落とし、相手を受身の姿勢に導き、瞬時にリズムで自分の腰を立たせ、天地に対して斜め四五°の楕円を描き、相手に技を掛ける。相手が抵抗・我慢したときは、意識を一方の挙上した手に移し、頭上に挙げている手を相手の首に落とし相手を投げる。挙上した手は常に開き、打ち落とす手は握り拳(梅が開いて松で収める)にしする。
★開祖の「イザナミ・イザナギ」の「梅が開いて・松で治める」など力に頼らない意識の転換で陰陽の基本を 稽古する。
7、両手を用い、左右の手が対称の陰と陽(イザナミ・イザナギ) が形成さられるような 稽古をする。相手を投げた(倒れた)時、相手が投げられ(倒れ)ながらの顔・上半身の攻撃(蹴り)の防御に一方の手を挙上する。また投げた相手に手や胸を掴まれ引き込まれ、寝技に持ち込まれないないように、一方の手を挙上し防御する。地の貯水槽(松)にホースを差し込み勢いよく天に放出(梅)する如く、転倒しながらの相手の腹部・顔への蹴りをディフェンスし、陰陽の動作を稽古する。
★開祖の「一方の手で技を掛け、一方に手で防禦する」の稽古をする。
8、相手の正面に入身の場合、進みて斜めに(四五°)に伸び、斜めに(四五°)に引身で縮む稽古をし、上下・斜めの四五°の入身・引身(進む・退くの陰陽)で、相手の連打の攻撃を避ける。開祖は、縮まなければ大きく伸びないという。伸びる・縮むは陰陽である。開祖の合気道のベースのイザナミ・イザナギであり、この陰陽の繰り返しの稽古をする。
★開祖の「三角に動いて丸く捌いて、四角で留める」の相手と並ぶ開身以外は三角に動く稽古をする。
9,後ろから腰を落とした屈強の相手に両腕を抑え抱えられてのリズムで、体を縮ませて伸びる稽古。足底(足裏)を大地にぶつけるようにし、瞬時に体を縮ませ伸びる。相手の腕の輪と自分の両腕との間に隙間ができた時、斜め(四五°)円転しながら、手を天地に置き、挙上した手から体を斜めにしてすり抜け技(ex一教など))を掛ける。
★開祖の「石に躓く、それが合気道だ」を稽古をする。