植芝盛平翁が亡くなり、高弟であった故人の諸師範が懸念していたことは、将来合気道の形稽古が流麗な”殺陣化”することでした。

殺陣化の兆しは、触れず相手を自由自在に投げる師範が登場した時からと思われます。お互いが信頼関係と仲間意識があれば、相手が合(相)気することはあり得ることですが、仲間意識がない、または敵対する場合ではあり得ないことは槍・剣・柔術の多くの秘伝書では、相手と合(相)気すると負けるからと忌諱とされているからです。開祖もそれはご存知です。開祖の「合気」と他の武道家の「合気」のとらえ方と、両者は乖離がるというより、まったく異なります。ですから開祖が存命であれば、その師範は破門であったかもしれません。もっともそのような師範は登場しなかったでしょう。

 「合気道は爺しかできない」「合気道はイザナギの命・イザナミの命の(陰陽二神)が行っている」「石につまずく。それが合気道だ」という開祖の合気道は、後数年で封印・霧消化されてしまうではないかと思われます。ただ30・50年先は、社会も人の考えにも変化が生じ、合気道開祖植芝盛平翁の技の研究が海外から日本に逆輸入されることになるかもしれません。それまでは、ほんのひと握りの中のひと握りの合気道愛好者のテーマとして残ればと思います。

 開祖の技に触れたお言葉に従えば、

 1、基本的には構えない合気道。あえていえば自然体(無形)の構え。自分が構えれば、相手も構える。しかし相手を投げた後は、相手の斜め45度に左半身(または右半身)に立つ。相手に技を掛ける時も(三角法・半身)同様です。でないと相手が投げられながら、仕掛ける手・足の攻撃を避けられません。また開祖がおっしゃるように、相手が拳で突いてくる攻撃を相手が掴みにきた時と同じに様に、捌き技を掛けられなければ、甚だ高慢ながら、開祖のおっしゃるイザナギ・イザナミの合気道 とは、思えません。開祖は「合気道は爺しかできない」とおしゃっているのですから、開祖の合気道の哲学と技を研究・探求する合気道修行者以外は、堅苦しく考えず、合気道を楽しむことでいいと思いますが、ただそれは合気道開祖植芝盛平翁の求道の合気道ではないかもしれません。..

 2、正面打ちは、切り下ろす打ち方でなく、「突き」での稽古をする。

 3、意識の転換の稽古をする(相手と争わない)。

 4、相手の連打と相手がどちらの手で突いてくるか分からない状態での稽古をする。

 5、円転の理・三角法での当身の稽古をする。

 6、相手を振り回さず、自分の腰を落とし、相手が天地に斜め45°楕円に円転するように、相手を自分の正中 線に落とし、相手を受身の姿勢に導き、瞬時にリズムで自分の腰を立たせ、天地に対して斜め45度の楕円を 描き(石につまずく)、相手に技を掛ける。相手が抵抗・我慢したときは、意識を転換し、頭上に挙げている手を相手の首に落とす。


 7、一方の手で技を掛け、一方に手で防禦する。両手を用い、左右の手が対称の陰と陽(イザナミ・イザナギ)が形成さられるような 稽古をする。