謎の浮世絵師東洲斎写楽

令和七年(二〇二五)NHK大河ドラマは江戸物。写楽絵の出版元蔦屋重三郎が主役です。書籍化に向けて原稿を作成しています。


謎の浮世絵師東洲斎写楽の正体が明らかに!

誰もが解けなかった「東洲斎写楽の謎」を草双紙で迫る

戯作者たちが作り上げた“能役者斉藤十郎兵衛”


東州斎は十返舎一九の「じゅう」と「とう(=とを)」の返し読み。
江戸時代は濁点を表記しない場合が多い、
「東州」は、とうじゅう、また、とうしゅうと読む。
山州は山城国、州は国を表わす。
なぜ雅号を五文字の奇数の名としたか?

十返舎一九は関西から江戸へ下ったので東州は江戸となる。
写楽は、孟子の「君子に”三楽”あり」から

足利12代将軍義晴の代、漢詩のテキストで季白の詩を解説した文中に
「洒落」の語彙が出てくる。
意味は「竹を割った様なさらっとした性格・様子」である。
このテキストは江戸時代でも現代の20万円以上はしただろうから、
寛政6年頃蔦谷重三郎であるならば、あるいは十返舎一九の気性から
「洒落」、「写楽」と一九に命名したかもしれない。
その後は「洒落」がいい意味で庶民に用いられるのは寛政後である。

(楽しみを申す「申楽」・楽しみを写す「写楽」)

○山東京伝の代表作天明5年刊・草双紙(黄表紙)『江戸生艶気樺焼』で、「十」を「とう」と書く。
 ○能楽者(のうらくもの)十返舎一九=斉藤文次+(一+九)+弥次郎兵衛=能役者斉藤十郎兵衛?
○十返舎の「十返」は香道志野流から。そして「十」の返し読みは歌舞伎の仕掛け「どんでん返し」から。
○「十返舎」「曵尾庵」「東洲斎」「一楽亭」とう、みな自分の小宇宙の空間を表す意図で用いられる。


壱 

Úジメと文献・参考資料一覧

返舎一九は、恩人蔦屋重三郎が逝去する寛政9
年まで「返」の字を使わなかった!

『浮世絵類考』の遍歴


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